略 歴

最終学歴

 筑波大学大学院ビジネス科学研究科企業法学(博士前期課程)修了

 筑波大学大学院ビジネス科学研究科企業法(博士後期課程)満期で終了

  ●研究分野:労働法  学位【修士(法学)】

1998年

 社会保険労務士試験合格

1999年  亀岡社会保険労務士事務所を設立
2006年  特定社会保険労務士試験に合格
2006年  「特定社会保険労務士」を付記
2011年  首都圏中央社労士事務所に組織変更
主な所属  ●埼玉県社会保険労務士会  ●筑波大学大学院労働判例研究会

◆特定社会保険労務士とは、会社と従業員(退職者を含む)の個別労使紛争(労働者対企業)の解決業務ができる資格のある社会保険労務士のことです。

 

福島県-人口1万の山のふもとの田舎町の出です
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福島県は原子力発電所ですっかり有名ですが、その福島で18年育成されました。私が生まれ育ったところは、伊達郡国見町という人口1万の山のふもとの小さな田舎町です。桃、柿などのくだもの、豊富な緑など自然いっぱいの場所です。福島県は、中通り、浜通り、会津地方の3つから構成されており、中通りの最北端の町が国見町です。自転車で10分、20分走ると宮城県に入る場所です。   

                                        

今は温暖化が進み、冬でも気温がさほども低くならないようですが、昔は―5℃から―10℃にもなったのです。山からの突風により毎日吹雪で、玄関の戸や自転車のタイヤ、水道管が凍りつくことは日常でした。交通機関がなく、手袋3枚、靴下3足に防寒ブーツという完全出で立ちで、自転車通学していました。出かける前は、やかんのお湯でタイヤの氷を溶かしていたものです。

 

通学は片道10キロでしたが、坂道と向かい風は十代の私の体力でもきつかったです。坂道がアイスバーンなのに、ゆっくりブレーキをかけながら下っていくしか方法はなく、やっぱり、すってんころりんでした。山からの暴風と雪で視界はままならず。ずいぶん鍛えられたものです。突風で自転車ごと道端の田んぼに落ちることもしばしばで・・雪まみれになることはしょっちゅうでした。

何もわからなかった社会人1年生

そのような田舎に染まっていた時代を経て、無事、大学も卒業し、TKCに入社をして社会人生活が始まりました。大学時代は企業会計のゼミに所属し、会計学を学びました。今思えば、この時、会計学を学んでおいてよかったと思っています。その学びを実務的に活かしたいとの思いからTKCでと一念発起しました。

 

当時は、簿記の勉強も結構がんばったつもりでした。でも、簿記は会計学と違って、技術的な部分をつかさどり、なかなか細かいものという印象が拭いきれず、がんばった割には、あまり身についていないようです。

TKCの新入社員研修のメニューに禅寺での座禅研修がありました。思い起こせば非常に有意義でした。『参禅入門』(大森曹玄著)の読書10回命令もあり、「禅」を原点としていたのです。禅寺では、みごとけいさくでバシっと打たれました。若干の痛みが・・・・でも一般の方が思うほどではありません。 そのけいさくは、お坊さんが私の同期生を叩いたらひびが入り、その同期生がお坊さんにプレゼントされました。    

          

TKCで最初に与えられた仕事は、法律情報データベースLEX/DBの構築でした。いまでこそ各大学や法律事務所などで利用されていますが、当時は着手したばかりで無名でした。というより日本には本格的な法律情報データーベースはなかったのです。まったく法律を知らなかった当時の私にとって、日々勉強の連続でした。明治時代の古い判例集は開くと手のひらがかゆくなるほどで、貴重な文献ですから、非常に気を使って扱っていたのを思い出します。当時は仕事柄、毎日、裁判例を目にしていましたが、全く読めませんでした。でも、判決文を一字一句違わずデジタル化して商品にするのは、とても地道な作業でしたが、やりがいがありました。TKC税務研究所の先生方は、元判事や国税不服審判所長などを歴任された、とても博学な方々ばかりで、ぱっと読んで、判決文はここがおかしいなど鋭い指摘をされるほどで、とても勉強になりました。

 

思えば、このときから何か法律に縁があったのかもしれません。そうした判例集を手に取ってめくり、読んでいく作業は不思議といやではありませんでしたから。

 

その後のTKC時代

その後、本社勤務で全営業マンの活動管理、全社の予算実績管理などの業務をこなしました。途中、TKCの株式上場プロジェクトのほんの一コマにも携わることができて、また勉強をさせていただきました。会社が証券市場に上場する舞台裏に少し触れることができましたが、上場とはこのように大変なものかと感じていました。

コンサルティング営業の部隊に移ってからは、ひたすら歩く歩くの連続でした。スーツから塩が吹くくらい歩きました。上着は汗で重くなっていた日々でした。当時はまだクールビズではなく、服装マナーも厳しかった時代でした。

 

お客様へ提出する営業の提案書やビジネスの企画書、セミナーや研修のレジュメ・テキストなどの作成は、すべて夜会社に戻ってからやっていましたから、毎日、午前様で生きていたようなものです。

 

それでも、税務・会計を主とした専門性のある仕事に非常にやりがいを感じつつの仕事でしたから、充実していた日々でした。セミナーで思い出深いのは、昭和天皇が崩御された日に、街中が消灯で真っ暗の中、セミナーを行ったことでした。今であれば、おそらくセミナー即中止だと思います。

 

TKCは、労働分配率など財務指標に基づく徹底した管理目標を実践する、いい意味ですごい体質の会社でした。しかし、一方で、社内ルールには矛盾も存在していました。会社命令の転勤なのに不動産の賃貸に関する費用、たとえば、敷金・礼金などですが、それを社員が100%負担する規定だったのです。

 

私は、8回もの転勤命令を受けましたが、費用負担は相当なものになっていました。

 

このことをきっかけに、転勤については、「法律上、必ず従うべきものなのか」「転勤は社命なのに、それに見合う金銭負担はどうなのか、転勤の回数に違法性はないのか、違法性の線引きはどのへんか」などの法的な視点から労働問題の探究心が芽生えていたころでした。このころから漠然と労働問題がテーマとして浮上していました。

 

きっと自分以上の労働問題に出会い、理不尽な思いをしている労働者がたくさんいる。将来は、そういう人たちの救済活動をしたいと強く思うようになったきっかけでした。

 

コンサルティング・ファーム時代から開業へ

こんな多忙で、一部労務的な矛盾のあったTKCからコンサルティング・ファームに転職しました。社会保険労務士になって、労働問題に向き合いたいという目標に向かうために転職したものでした。なぜかと言えば、社会保険労務士として、さまざまな労働問題の解決のお手伝いをしていくためには、「書類だけ書いていてもだめ。労働問題は企業から発生するので企業状況を分析できたほうがいい」と考えたからでした。 

 

それは、TKC時代に様々な企業に伺わせていただき、従業員を切りたい、働かない社員がいる、評価を厳しくしたいなどの声を経営者から直接聞くことが多かったことで学んだものでした。

 

でもコンサルタントはハードだった。会社の事務所に寝泊まりすることもかなりありました。経営診断書をまとめるのは、複数名でやっても、並々ならぬものではなかったのです。経営診断書は、簡易版でも厚さ7、8㎝のファイルにパンパンでしたから。

 

しかし、このコンサルティングの経験が、社会保険労務士になって大いに活きています。販売、労務、財務という経営の基本機能を関連させて捉えることができるようになったのは、実地で勉強させてもらった賜物と言えます。実際、労働相談で労働者とお会いさせていただく際に、人員不足、資金繰りの悪化など退職勧奨や解雇、パワハラになった企業背景に対し、とてもアンテナがたつようになっていました。多少なりとも経営を学んでいてよかったと思う瞬間です。

 

経営理念、経営方針・計画、経営戦略など経営の基本柱も、TKC時代、コンサルティング・ファーム時代とかなり勉強させていただきました。それなりに自分の視野が広がったように思います。たとえば、整理解雇(リストラ)や退職勧奨では、経営戦略的なものもあるわけですが、経営的要素と結びつけて判断できるようになったのは、労働問題に傾注する社会保険労務士としては有利に働くものでした。会社の業績、経営戦略、経営方針、組織体制、業種・規模などの得られる情報と労働問題の結びつきや原因を少しでも探ることに役立ちます。

 

 

ゼロからスタートの社会保険労務士1年生

そんな中心業務をかかげつつの社会保険労務士としての開業は、サラリーマン時代とすべてが違います。人はサラリーマンでなくなった瞬間に、背中の看板やブランドが消えます。サラリーマン時代は、看板やブランドがあり、すすめる商品もあり、営業方針を考える人もありとありありだった。開業するとこの違いにまず、気づきます。 

 

冷静に見つめたところ、商品は何か、企画を考えるのは誰か、営業するのは誰かという疑問にあたりました。どれも答えは同じでした。これがサラリーマン時代との根本的な違いであると知ってからは、ゼロから進むのみを肝に銘じ、かっこ悪さも気にせず、日々邁進したように思いました。忘れなかったのは、熱いハートだけではないかと思います。 

 

しかし、開業当初は、事務所もアパートの一室、言うなれば、一坪オフィスです。日中、そんなところからスーツを着て出ていけば、ご近所さんも不思議な顔をするわけです。「バリバリの働き盛りの年齢の男が、スーツきて怪しい?」って思われているんだろう。当時は、そんなことも頭をよぎりながらやっていたように思います。初々しい社会保険労務士1年生のころです。そんなスタートでしたが、教わったノウハウは素直に実践しました。経営理念を構築、経営ビジョンを設定、経営計画を策定、単年度目標の数値も決め、数ページの経営計画書を作りました。 

 

事務所の経営計画書において、自分の財産を棚卸して、できることを行動計画にしました。人脈なし、これといった武器もなしとないなずくしでした。私が労働問題の解決をしますということも誰も知る由もなく、無名時代でした。 

 

当時は、今のようにインターネットがまだメジャーでなかったころでした。アナログ的方法でコツコツとでした。

 

 

社会保険労務士として波に乗り、役割を意識する

自分で人に会うたびに、労働問題について語っていくうちに、社会保険労務士でも労働問題を解決してくれるんだということが浸透していきました。それまでは、世間的に企業側の書類を書いている人という印象がありました。

 

そうこうしているうちに、2003年に労働局のあっせん制度が整い、社会保険労務士が個別労使紛争の解決業務ができることがだいぶ広まりました。当時は、「あっせん代理」と言っていましたが、中途半端な代理業務でした。その後は、2006年に特定社会保険労務士制度ができ、あっせん代理も進化しました。座学研修、認定試験と多くの時間を費やし、なんとか特定社会保険労務士の第一期生となれたのです。今は、この特定社会保険労務士の資格がないと個別労使紛争の解決業務ができなくなっています。

 

採用から退職まで、労務ステージの場面場面では、誤解や感情のもつれから、あるいは、水面下で動く企業の追い出し意図などから労働問題が突発的に発生し、労働者は想定外の労働問題の当事者になります。

 

当事務所に相談に来られる方が、「まさか自分が・・・」とおっしゃいます。そんな労働者を一人一人救済してあげることができ、前向きに職業人生を進ませてあげることができたときには、無類の喜びを感じます。まさに背中からやりがいがニョキニョキ伸びる感じです。

 

当事務所には、労働問題の枠にとどまらず、人に関する様々なことが舞い込んできます。たとえば、外で借金をして督促に追われているがどうしたらいい?親が亡くなったが、兄弟で相続争いになっている?プライベートで交通事故に合って相手との交渉はどうしたらいい?不動産のことで交渉がうまくいかなくて?などなど人のことは何でもやってきます。何か頼りにされていること実感させていただく瞬間でもあります。

 

いろいろな皆様に支えらえて、社会保険労務士として非常に充実した業務を行わせていただいております。 

 

労働問題に携わる社会保険労務士は、専門スキルに磨きをかけることに一生懸命にならなければいけませんし、それが当たり前であると考えています。

 

法律論を説くのではなく、労働問題に対し真摯に向き合い、いかなる解決が可能かを早く助言するようにすることが役目であると考えています。そのためには、日ごろのノウハウ蓄積と専門的なスキルアップを怠ってはいけません。
その実現は、労働法を中心にさまざまなことを勉強することにつきます。そうした考えから、筑波大学大学院で企業法学を学び、さらに研究・勉強を深めようと、同大学院の博士課程で研鑽を重ねております。また、同大学の労働判例研究会に所属して、日夜、労働判例を素材にした研究・勉強を継続しております。法的な判断材料のスキルアップは必須事項です。労働問題は人と人の感情をぶつけても解決はできないもの。解決のための尺度を提供する役目は社会保険労務士の仕事だと思うのです。

 

モットーはノウハウやスキルは常に磨き向上を図り(インプット)、お客様の相談に答える際は、専門家の知恵を織り交ぜつつも労働問題の当事者にわかりやすいように知恵・策を提供する(アウトプット)。

 

裁判例は、企業リスクの防止と対策のノウハウが満載で、その時代も反映されている点で、研究素材として非常に有益です。素材自体が実際の紛争であるだけに、全文を読むことで法律への理解が深まり、労働問題の実務に応用することが可能になります。 

労働問題解決の社会保険労務士として、今

わたくし自身は、在野の一社会保険労務士にすぎません。資格がないと社会保険労務士の業務はできませんので、資格のもとに業務をこなしますが、現場では、資格は関係ありません。

 

いかに、社会保険労務士として、スキルを磨いて、常に労働問題の当事者に貢献できるように、準備をするか、この精神に尽きます。社会保険労務士は人に関する多くのことを対応します。労働問題解決の業務はルーチンワークではありません。でも、人に関することである以上、労働者が少しでも健やかな日々を送れますように尽力したいという思いです。

 

ブラック・ブラウン企業がいたるところに見られます。労働者の労働問題解決のために、春日部を拠点に首都圏を走ります。 ブラック社労士も増えていると聞きます。労働者をブラック社労士の仕打ちにさらさないようにすることも重要な役目です。多くの社会保険労務士は企業側の書類書きを主な業務にしています。肩書として「特定社会保険労務士」を名乗っているだけで労働問題に対応する能力があるのか疑わしい社会保険労務士が多くいます。その点はよく見極めて労働問題にたち向かうようにしてください。

 

                   首都圏中央社労士事務所

                   代表 特定社会保険労務士 亀岡 亜己雄

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